初レビューあとがき パニック発作を踏み越えた想い
「パッチ・アダムス トゥルーストーリー」の記事、読んでいただけましたか?
私にとって初めての映画レビューで、ずっと取り組もうと思っていたのですが、"初めて"のハードルをなかなか飛び越えられずになかなか作業が進まない日々。
そんな中、人生初のパニック発作で救急車よんじゃいました。
クレヨンしんちゃん風に言うと、
「はじめてのきゅうきゅうしゃだゾ」
です。(急にどうした)
前の仕事をしている時から、不眠に悩んでいて、仕事を内職に変えたあと特にひどくなり、夜中、早朝に起きる中途覚醒。ひどいと2〜3時間しか眠れない。そんな状態になり、いよいよめまいがでるようになりました。
「今日も眠れなかったらどうしよう」
次第に眠ることが不安で怖くなってきました。
その朝も2時間ほどしか眠れず、めまいで倒れ込み、泣きながら母に電話しました。それが引き金になったのか、プツっと何かの糸が切れたのか、発作が始まった。
ぼーっとしてソファに横になっていたら、何とも言えない不安感、恐怖を感じて、まず心臓の辺りが寒くなってきた。それから動悸、悪寒、手足口周りのしびれが襲ってきた。
今まで経験のないほどの体の異常に恐怖を覚え、
「救急車呼んで!!」
旦那は始めは動揺して救急車を呼ぶのを渋って私の様子を見ていた。
「早く助けて!!!」(心の声)
「お義母さん、お義母さん呼んで!!」
とにかく女性が近くに居てほしかった。でもみんな混乱するばかりだった。それも無理ない。
突然こんなことになるなんて。今日がこんな日になるなんて。
「自分は死んでしまうのか?!・・」
My ”死ぬかと思ったSTORY”第三弾である。(伝われ~)
第一弾は1人目の子を産んだ時、第二弾は2人目を産んだ時。
そして第三弾。今回はこの発作。
その日は小雨が降っている日で、担架に乗せられ少し雨に濡れながら、シートをかぶせられて運ばれて行きました。そのシートの透明の小窓から、雨粒と、よどんだ空が見えた。
「私はこれからどうなってしまうのだろう・・・。」
でもとりあえず病院にいければ家にいるより安心だ。
救急隊員さんの声掛けに安心して、少し冷静さを取り戻してきた私。
隣りには主人が座っていた。手を握ってもらった。
病院から帰って数日間発作が出ていたんですけど、病院では異常なしとい言われ、”これ”が一体何なのかわからず、ただ苦しく、入院したいくらいの気持ちでいましたが、「異常なし」じゃどうしようもない。だけどとにかく辛い。どうしたらいいのだろう・・。
そして、夜中の発作の時、かかりつけの内科に行くことを思いついた。
「とにかく先生に聞いてもらおう」
そんな直感のようなものがあり、次の日そのクリニックへ行った。
私のかかりつけの先生はザ・町医者な感じで患者は全部友達みたいな(悪そうな奴は大体友達みたいな・・はい違います)面白い先生で、病気の話から雑談まで、よく話を聞いてくれます。全っっ部話しました。そして、
「病院でこれだけ検査やって異常なしって言われてるってことは病気でないってことが証明されてるわけだ。・・ということはこれは明らかにメンタルの問題だな。」
ADHDの治療をしていることももちろん伝えてあって、治療の不安とかも洗いざらい話した。それを受けて、先生はいつもの調子で途中話が脱線しつつも、
「お前という人間はこの世に一人しかいないのだから、(障害があろうとなかろうと)堂々と生きていけばいいと思うけどな俺は!!(ドヤ顔)」
その言葉がうれしかった。こんな毒舌クセモノキャラなのにハートは最高かよ!!
先生、ありがとう。
愛してる。(え”)
なんか内科って体調悪くなった時たまにしか行かないけど、主人や子供たち以外の家族みんなそこにかかってて、なぜか近所の人みんなそこみたいな感じで、今回行った時も主人の嫁ってすぐわかったと思う。なんかもう自分のおじいちゃんのような感覚もある。向こうからしたら失礼だけど(笑)先生と話しながら泣けた泣けた。本当にほっとした。
改めて先生、ありがとう。
愛してる。(しつこい)
そのあとかかりつけのメンタルクリニックに主人と行って、状況を説明したら、 「 パニック発作ですね」とすぐにわかって、対処法が分かってからは心のひっかかりがなくなっていきました。
その後数日、母が仕事を休んで我が家に滞在してくれることになりました。距離があって離れていた時間を埋めるようにたくさん話をしました。料理・家事をやってくれて本当に助かった。そしてお母さんが本当に素敵な言葉をくれた。
「パニック発作は(私)にとっては悪い出来事だったかもしれないけど、
(私)がみんなをつないでくれたんだよ。」
(旦那)がよくがんばってくれてるのもわかったし、お義母さんともなかよくなれたし。」
今回父ともたくさん話をして、メル友かよってくらい今までで初めてたくさんメールのやり取りもした。父とは映画や音楽好きなところだったり趣味が似ている。DNAってやつだね。
投稿としては5記事前になるのですが、映画レビューをやってみて思ったのが、1つの作品をここまでまとめ上げる労力って半端ないなって思いました。慣れていないのもあって、時間も頭もフル稼働でこんなに大変なのか;と思った。
手の震え、脱力感、しびれ・・寝たきり状態になっていましたが、這いつくばってでも「書きたい」という思いひとつで執筆を続け、なんとか形にすることができました。
鬼滅の刃で無惨と対峙した時のお館様の名言を思い出す。お館様の病が末期状態で包帯に巻かれて布団で横になっているところに、ついに無惨が現れた。お館様は起き上がることができない体を血をにじませながら気力で起こすが、悪びれず淡々と親方様を蔑む無惨。その時のお館様の名言。
「永遠というのは人の想いだ。人の想いこそが永遠であり、不滅なのだよ。」
鬼滅の刃16巻 第137話より
1人でもこの記事をみてくれる人がいる。その人にこの思いを届けたい!!その思いで書き上げました。今は家族のサポートを受けながら療養していますが、少しづつできること増えてきて、体力も戻るように努力して、回復に向かって一歩一歩ゆっくりと進んでいっています。ただ焦りは禁物なので、この回復期こそ慎重にならないと。とは気を付けています。子供たちともあまり遊んであげられないけどその分いっぱいハグして、ていねいに会話してコミュニケーションをとっています。
子供たちにはちょうど登園時間ごろに救急車がきて怖がらせてしまって申し訳なかったけど、車が大好きな息子は普通に救急車で遊んでいる。
娘は保育園の帰りに見つけた花を持ってきくれたり、保育園の短冊に「私が元気になるように」と書いてくれる、優しくて可愛い可愛い娘です。
救急車に怖いイメージがついちゃったかな、トラウマになっちゃったかな、と心配していましたが、今のところは大丈夫なようです。
私もはじめのころの発作はもう出ていません。軽めの発作ならたまにありますが、頓服でなんとかなります。
今回、発作が出るたびに、家族に手を握ってもらい、手のぬくもりの癒しの力をすごく感じました。手を握ってもらうだけで、辛い症状もも少しづつ安らぎに変わって、心が平和になる。
手を握ったり、背中をさすってもらったり、「大丈夫?」と声掛けをしてもらうだけでずいぶん救われる。辛くて話を聞いてほしいけど話せる人がいないときは、私のスタエフぜひ聴きに来てくださいね。ADHDのしゃべり場、繊細さんのしゃべり場としても運営していきたいと思ってます。
stand.fm 「しゃべれないけどしゃべりたいラジオ」
ハンドルネーム「おこめ」として配信しています☆
ありがとうみんな。
いてくれるだけでいい。
その2つを強く感じた今回の出来事でした。
長くなってしまいましたが、今日も読んでくれてありがとうございます。
しばらくは、治療とリハビリがんばります。
みなさんもよい一日を。
ノシ